村上佳菜子が語った28年間の苦労。
アトピー性皮膚炎のリアルとは
プロフィギュアスケーター村上佳菜子

オリエンタルバイオがアトピー性皮膚炎で悩む村上佳菜子さんに、これまでの苦労や改善するまでの半生を取材。5年前に出会ったある成分が、彼女を変えたそうです。
取材:オリエンタルバイオ 芳賀
1.「アトピー性皮膚炎」に悩まされた過去
プロフィギュアスケーターとして活躍し、2014年ソチオリンピックでは日本代表を務めた村上佳菜子さん。
選手を退いてからも、アイスショーを始めとしてバラエティ番組への出演、スポーツキャスターや解説の仕事など、多岐にわたり活躍している。

村上さんと言えば、明るくて天真爛漫、悩み事もふき飛ばしてしまうようなパワーのあるイメージだが、実は笑顔の裏でずっと「他の人にとって普通のことすらできなくなる」ある悩みに苦しんでいたのだという。
その悩みとは、アトピー性皮膚炎が原因で生じる悩み。
『スキンケアは刺激のないものだけ。メイクも自由に楽しめない』
『大好きなスケートでの表現にも、キャミソールなど好きな衣装も着られない』
『無意識に掻きむしるからシーツは血だらけ。いつも「掻いてたよ」と家族に言われ落ち込んでばかり』
今は帰省しても家族にも掻いてたよと言われず寝覚めも良いし、肌が出ていようとも好きな衣装を着て、メイクやファッションも楽しめる。 「今が一番肌の状態が良いです!」と語る村上さんの言葉は本当らしい。

アトピー性皮膚炎は、強い痒み・掻きむしりが特徴の肌疾患で、多くの研究があるものの特定の治療法はまだ確立されていないという。
アトピーとの付き合い方について、本人はもちろんのことだが、家族や周囲の人も誰にも言えずに悩んでしまうことも多い。
そのため今回は村上さんご自身に加え、村上佳菜子さんのお母さんにもその実体験を語っていただいた。

2. 村上さん親子が体験したアトピーのリアル
村上さんがアトピーを発症したのは、乳児期の頃だった。まだ本人も記憶のない頃から、親子のアトピーとの戦いが続いていたのだ。当時の壮絶な時期をお母さんはこう話す。
「アトピーだとわかったのは生後3,4ヶ月の頃です。
顔をシーツなどにこするようになり、そのうち自分の手でもこするようになり…。ミトンをして掻かないようにと思っても、自分でミトンを取って掻くので膿が出てしまったりして。
私が起きている間はいつも掻かないように見守っていました」
「公園デビューでは、ベビーカーのフードで娘の顔を隠していたのですが、公園の先輩ママさんが話しかけてくれて。
でもフードを上げたとき、あまりの顔のアトピーのひどさにバンッ!と閉められてしまって、すごく悲しかったです」

村上さん自身も、物心ついたときにはアトピーがある日常だったと話している。
「生まれた時からずっとアトピーで、治るものだとは本当に思っていなかったんです。もう全身荒れていて、それが当たり前だったので。」
「特に夜は痒くて眠れなくて、家族が冷たいタオルで冷やしてくれたりするんですけど、もうそんなのどけて掻きたいの!!って感じだったのはすごい覚えてます。普通の人って、痒い、掻こうって意識して掻くと思うんですけど、アトピーの場合はもう無意識に掻いてるんですよ。寝ている間もボリボリ掻いているから、家族に「すっごい掻いてたよ」って言われたり。朝起きたら知らない傷がいっぱい出来てて、ヒリヒリ痛痒くてまた掻いちゃって…。シーツが血だらけなのもしょっちゅうでしたね」

端から見るといつも明るく笑顔を絶やさない村上さんも、アトピーが酷かった時期をこう振り返っている。
「高校生くらいになると人の目も意識するようになるから、自分で膝の裏をコンシーラーみたいなので隠したこともありました。汗をかいて体が温まると痒くなりやすくて、体育の時間などいつも痒くて。周りはみんなスーッとする制汗剤とか使うじゃないですか。ああいうのを使うのもすごい憧れでしたね。私はもうヒリヒリして絶対使えないので」
「やっぱり素でオシャレしたいし、素で肌見せができたらなと思うし。街で女性を見ると、つい綺麗な腕とか素肌に目がいって良いなぁって思っちゃったりしていました。コンプレックスでしたね」