3. 過酷な選手時代を乗り越えて手に入れた本来の肌
村上さんがプロフィギュアスケーターであったということも、さらにアトピーの治療を困難にしていた。
「ドーピングの問題もあって、ステロイドなどの薬も使えなかったんですよ。他の選手が当たり前のように巻いているテーピングも、自分だけ巻けなくて」
「ストレスが掛かると痒くなるというのがひとつ、私の中で一番大きくあって。 特にオリンピックのシーズンはひどかったですね。毎日練習と帰宅して寝るだけの繰り返しで、もう掻くことでストレス解消というか、掻いて掻いて掻きまくって、あースッキリ!ってなるのが唯一のストレス発散方法だったんです。でも掻けば掻くほど悪化して、ケロイドになるくらいひどくなっちゃって…。ああ、またやっちゃった、ってコントロールできない自分にも落ち込みました」
悪化している状況の中で、薬も使えずにアトピーと付き合っていくなんて可能なのだろうかとすら思ってしまう。聞けば聞くほど過酷そのものな選手時代だ。

今までで最も辛かった経験を聞くと、ソチオリンピックの代表選出時にコーチにかけられた一言が忘れられないという。
「その腕…やっぱりまた悪化してるね。ちょっともう見てて本当に痛々しいから、長袖の衣装にしよう」
村上さんはその時の心境をこう語る。
「ズサっと刺さった。あ、他の人からはこう見えるんだって。私はノースリーブの衣装を着たかったし、その衣装も含めた表現を毎日毎日練習していて、思い入れのあるとても重要な衣装だったんです。だから、その時の心情を思い出すだけで、未だに残念な気持ちになります」

「試合前は精神的にも追い込まれるので、顔にアトピーが出やすいなど悩んでいたようです」
お母さまもそばで見ていて、見守るしかない歯がゆさを感じられていたことだろう。
しかし現役を引退してからその症状は徐々に落ち着き、今では肌も隠す必要がないくらいキレイになっている。友達にも「全然ないじゃん!言われてもわかんない!」と言われたというほど。

「あれ、私ってこんなに肌キレイだったんだ、って気付きました(笑)もうほんとに信じられないくらいボロボロだったんですよ。唯一アトピーが出にくかった箇所が内ももで、ここだけはこんなに綺麗なんだなってよく触ってたんですけど、最近は他の部分も同じくらいスベスベになったんです。すごく嬉しいですね」
「以前は洋服って隠すためのもので楽しむものではなかったし、メイク道具選びが本当に大変だったんです。流行りの化粧品を使ってみたいけれど荒れてしまうことが多いので、本当に優しいものしか使えなくて。何か試すときは「せっかくここまで良くなったのに荒れちゃったらどうしよう」ってもう本当に怖かった。今は選択肢の幅が広がったし、「あ、これはダメだったんだ~」くらいな軽い気持ちでなんでも試せるようになったので、本当に大きな変化でしたね 」

「いつもメイクさんに『ごめんね、痛いよね』って、でこぼこの肌にコンシーラーを塗ってもらってたんです。だから『もう塗らなくていいね!』って言葉がすごい嬉しい。毎日私の肌を見てくれてるからこそ、ほんとよかったねって言ってくれるので」
以前は我慢をしていたことも、症状がなくなって初めてあれもこれも挑戦していいんだと新しい可能性に気づくことが出来たそうだ。
「前は無意識のうちに「隠さなきゃ」っていうイメージがどっかにあったのかなって。今は『デコルテが出てる服に挑戦してみよう』とか、『この服には素足でパンプスが合うな』とか、選ぶ服のチョイスも自然に変わってきました。私はファッションが大好きなので、これからはどんどん人生を楽しんでいきたいなって」


村上さんの変化について、お母さまもこう語っている。
「アレルギー外来に行ったとき、このまま一生治らないかもしれないと言われていたんですよ。それからは、なんとか顔だけでも良くなってほしいと願うようになって、身体のアトピーは正直諦めていたんです。それが、顔だけでなく身体も綺麗になったので良かったなと心から思います。本人も、気持ちも落ち着いていろいろな服も着られるようになったことで、自信が持てたように見えますね」