【「アトピー性皮膚炎」17年間の苦悩。しつこいかゆみから解放されたワケとは】

広島県広島市に住む清本香菜子さん(35歳)。
お子さん3人を育てる優しいママさんだが、実は小学校4年生から悩み続けていることがあった。
それは、「アトピー性皮膚炎」 。
清本さんの場合、脚全体に湿疹が出てしまい、18年以上猛烈なかゆみと周りの目に悩まされてきたという。
しかし、2015年、そんな清本さんに転機が訪れる。
ある研究との出会いをきっかけに掻きむしる回数が激減。現在では肌に自信がもてるようになり、毎日前向きに過ごせているそうだ。
「諦めなくて本当によかったです。人生の選択肢がぐんと広がりました!」
そう仰る清本さんに、いったい何があったのか。
今回は、ご本人にこれまでの18年間を振り返っていただいた。
1. なぜか脚だけアトピー性皮膚炎。誰にも共感されず心身ともに絶不調。
清本さんにアトピー性皮膚炎の症状が現れたのは、10歳のころ。
最初はふくらはぎだけかゆみや湿疹が出ていたが、すぐに脚の付け根から脚首まで全体に広がった。
アレルギーは持っていないものの、お父さまも清本さんと同様に脚だけアトピーの症状があったり、ちょうど思春期で転校があったことから遺伝や体質、ストレスもあるのかもしれないとご本人は語る。

「学生の頃、授業中が特にかゆくて、どうしても我慢できないときは机の下でガ―っと掻いてました」
高校生になるとかゆみはさらにひどくなり、お母さまに連れられて皮膚科に駆け込んだ。しかし詳しい検査や治療はしてもらえず、医師から『アトピーかもしれないから、しっかり保湿してね!』と言われるだけで終了。診察はあっさりと流されてしまったという。
「ステロイド軟膏って1本がすごくちっちゃいじゃないですか。脚全体を塗るには到底足りなくて…。処方された1本のステロイドをひどいところだけちょびっとずつ塗って、コスパ良い市販のクリームをたっぷり塗って保湿だけは念入りにケアしてました」

「特に辛かったのは靴下の糊を塗る時です。脚が隠れるように長い靴下を履いていたので、ずれないように靴下の糊を使ってたんですね。でも塗れば塗るほど肌がかぶれちゃって。 」
患部が「脚」ということもあり、女性としてこんな悩みにも直面したという。
「とにかく無駄毛の処理が大変でした。今でこそ脱毛とかありますけど、当時は自己処理するしかなくて。T字の剃刀で恐る恐る剃っても、毎回掻き傷のかさぶたも一緒にガリっとやってしまって。治りかけの患部もジュクジュクの状態に戻るし、余計に悪化しちゃってましたね」
当時はお母さまがフルタイム勤務で多忙だったこともあり、悩みを打ち明けることは出来なかった。どうにか上手くかゆみに対処できないか、たった一人で葛藤していたという。

2.仕事に育児、多忙な毎日。どうしても我慢できず血が出るまで掻き続けた。
短大卒業後は家電量販店に勤めた清本さん。
25歳で結婚し3人のお子さんのママとなったが、幸せな生活を送る傍ら、アトピーの症状は一向に良くなる兆しが見えなかったという。

「当時は仕事や育児ですごく疲れていて。仕事は毎日11時間以上の長時間勤務ですし、ノルマも厳しかったんです。もともと相手の顔色を気にする性格なので、あまりのしんどさに、ちょっと鬱気味になってしまって」
体が温まると我慢できないほどのかゆみに襲われてしまうため、お風呂や寝る前の時間帯は特に辛かったそうだ。
「血が出るまでバーッて掻きつくしてしまうんです。掻いた後はいつもあーまたやってしまった…、みたいな感覚になるけど、掻かないとムズムズしてしょうがないから掻いてしまえって 。もうやけくそでしたね」
ビタミンやコラーゲンを意識的に取り入れたり、お風呂上がりの保湿ケアを徹底したり、試行錯誤を繰り返した。すがる思いで再び皮膚科にも通ったが、自分に合ったケア方法に出会うことはできなかったという。
「朝まで熟睡できるのは半年に一度くらい。 3時間おきに寝て起きての繰り返し。疲れも中々取れなくて、日中イライラするのでかゆみがさらに強くなって、症状が悪化して…っていう悪循環はかなりしんどかったです。 朝起きてパジャマや布団に血がついてるのは日常茶飯事でした。血液って洗っても綺麗に落ちないし、爪の間にも血が溜まってましたね」

「一番きつかったのが傷口がまだジュクジュクの状態でストッキングを履いたとき。傷口の浸出液が乾いてかさぶたができるんですけど、ストッキングにくっついちゃうんですよ。それを毎回無理矢理脱ぐので、痛みはひどいし、血がたらーっと出てきましたね。毎日そんな感じで、ここまできたら傷がいくら増えようが一緒だ、治らんわってもはや開き直ってました」
日常生活でも、とにかく周りから脚が見えないよう隠すのに必死だった。
お子さんと公園やキャンプに行くと、「脚を出したくない」と水場の近くには行けなかった。温泉やプールも避けてしまい、「子供たちにはごめんねって思ってました」と振り返る。
「子供をお風呂に入れるときに、義理の母から『その脚どうしたん』と心配されて…主人にはしょっちゅう『病院に行かないの?』と言われたり、家族にも気を遣わせちゃって、心苦しかったです。」